7/02/2017

イーサネットの誕生と台頭

HPのブログより

今日、我々はイーサネットを当然の如く受け入れている。ケーブル・ジャックを壁やスイッチに差し込み、ネットワークに接続する。何を考える必要があるのか?

そんな風にはしていなかった。1960年代や1970年代には、ネットワークは筋が通らず、訳が分からないテクノロジーの特別な寄せ集めだった。しかし、ロバート(ボブ)・メトカーフは、ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)のローカル・エリア・ネットワーク(LAN)を構築するよう求められた。彼の作品、イーサネットは全てを変えた。

1972年頃、メトカーフ、デビッド・ボッグスやネットワーク問題を任命されたPARCチームの他のメンバは、世界を変えるとは考えていなかった。彼らは、グラフィカル・ユーザ・インタフェースを備え、Macの前身となる最初のパーソナル・ワークステーションであるPARCのXerox Altoと、世界初のレーザプリンタであるScanned Laser Output Terminalを接続して利用できるようにすることを望んでいた。

簡単な問題ではなかった。ネットワークは数百台のコンピュータを同時に接続しなければならず、(差し当たり)非常に高速なレーザプリンタを駆動するのに十分速くなければならなかった。

メトカーフは偽物(whole cloth)からネットワークを作ろうとはしなかった。彼は、インスピレーションのために以前の仕事を使った。特に、メトカーフはALOHAnetパケット無線システムに関するノーマン・アブラムソンの1970年の論文を検討した。ALOHAnetは、ハワイ諸島間のデータ通信のために使用された。通信が専用線に依存していたARPANETとは異なり、ALOHAnetはネットワーク伝送にUHF周波数を共有して使用していた。

ALOHAnetは一つの重要な問題に取り組んだ: 2つの無線機が同時にブロードキャストしていたため、パケット間の衝突が発生した時の対処方法である。ノードはランダムな時間待って、これらの"エーテルの中で失われた"パケットを再ブロードキャストする。このパケット衝突回避の原始的な形態は比較的うまくいったが、アブラムソンのオリジナルの設計では、ALOHAnetは潜在的な最大効率のわずか17パーセントしか最大トライフィック負荷は達成できなかったことを示していた。

メトカーフは大学院でこの問題に取り組んでいた。そこでは、適切なパケット・キューイング・アルゴリズムを使用すると、潜在的なトラフィック容量の90パーセントの効率に達することが分かった。彼の研究は、イーサネットのメディア・アクセス制御(MAC)規約Carrier Sense Multiple Access with Collision Detect (CSMA/CD)の基礎となった。

しかし、PARCではワイヤレス・ソリューションは実用的ではなかった。代わりに、メトカーフは同軸ケーブルを使った。しかし、それをCoaxNetと呼んだりオリジナル名のAlto Alohaネットワークに固執するのではなく、メトカーフは19世紀の科学史の廃れたフレーズ、エーテルを借用した。19世紀の物理学において、"エーテル(luminiferous ether)は光が移動する際に通り抜ける媒体に使用された言葉だった。

「電磁波の伝播のために遍在する完全に受動的な媒体という全体の概念は存在しなかった。」メトカーフは2009年のインタビューで説明した。「それは架空のものだった。しかし、デビッドと私はPARCでこれを構築していた時、我々は実際に電磁波(この場合は、データパケットだ)の伝搬のための遍在する完全な受動的な媒体を作り出すため、あらゆる廊下を上下にケーブルを走らせることを計画した。」適切に十分に、最初のイーサネット上の最初のノードは、エーテルが存在しないことを発見した科学者、マイケルソンとモーリーと名付けられた。

1973年5月22日、メトカーフはイーサネットがどのように機能するか、PARCの経営陣にメモを書いた。同軸ケーブルはPARCの廊下に置かれ、最初のコンピュータは1973年11月11日にこのバス型ネットワークに接続された。新しいネットワークは1秒あたり3メガビット(Mbps)の速度を誇り、すぐに大成功した。

3M Ethernet 10 08

メトカーフの最初のイーサネットのスケッチ

その後数年間、イーサネットは閉鎖された社内システムのままだった。そして1976年に、メトカーフとボッグスは論文「Ethernet: Distributed Packet-Switching for Local Computer Networks」を公表した。ゼロックスはこの技術の特許を取得したが、多くの現代の企業とは異なり、ゼロックスはイーサネットを他者に開放するというアイデアを喜んで受け入れた。

1979年ゼロックスを退社し3Comに移ったメトカーフは、このアイデアを踏襲し、DEC、インテル、ゼロックスにイーサネットの商品化を同意させた。コンソーシアムは、DIXとして知られるようになった。DIXがイーサネットを標準化することを期待していたIEEE 802委員会は、内部の衝突を除いては、イーサネットを安易に承認するつもりはなかった。何年も掛かったが、1983年6月23日、IEEE 802.3委員会がイサーネットを標準規格として承認した。つまり、イーサネットのCSMA/CDが承認された。802.3とEthernet II (別名DIX 2.0)に進化したものとは、ほんのわずか違いがあった。

その頃、イーサネットは10Mbpsの速度に達し、普及率が高まっていた。(少なくとも、ネットワークオタクの間では、TCP/IPの7層をすぐに思い付く人たちである。) 一部、物理的な設計を改善したこともあった。最初のイーサネットはThickNetとも呼ばれる9.5mmの同軸ケーブルを使用していたが、ケーブル(Frozen Yellow Snake)を敷設しようとした時に悩ませていた。この10Base5物理メディアにデバイスを接続するには、ケーブル自体に小さな穴を開けて、"バンパイア・タップ(vampire tap)"を取り付ける必要があった。デプロイが非常に難しかった。

いわゆるThinnet(10Base2)は、ケーブルテレビ型のケーブルRG-58A/Uを使用する。これにより、ネットワークケーブルの敷設がはるかに簡単になった。さらに、Tコネクタを使ってコンピュータを簡単に接続することができる。しかし、10Base2には大きな問題があった。ケーブルがどこかでダウンすると、ネットワーク・セグメント全体がダウンした。大規模なオフィスで、ネットワーク全体を停止する壊滅的な接続を見つけ出すことは本当に面倒なことだった。私は経験から話している。

1980年代まで、10Base5と10Base2の両方が非シールドより対線(UTP)に置き換えられ始めた。この技術10BaseT、その多くの後継技術(例えば、100Base-TX、1000Base-T)は今日ほとんど我々が利用している。

80年代初頭、イーサネットは2つのネットワーク技術との深刻な競争に直面していた。ファクトリネットワークのためにゼネラルモーターズ(GM)に支持されたトークン・バスと、IBMのはるかに一般的なトークン・リングIEEE 802.5であった。

トークン・リングの帯域幅の利用効率が向上した。4Mbpsのトークン・リングのパケットサイズは4550バイトと、イーサネットよりも効率的に速くなった10Mbpsイーサネットの1514バイトと比較すると大きい。そして、真の回線速度を理解することができない素人にとっては、16Mbpsのトークン・リングの方が明らかに速かった。

別のイーサネットの挑戦者はAttached Resource Computer Network (ARCNET)だった。イーサネットやトークン・リングのように、1970年代にDatapoint Corp.によって独自のネットワークとして最初に作られたARCNETは、1980年代にはオープンとなった。ARCNETはトークンベースのネットワーク・プロトコルでもあったが、リング・アーキテクチャではなくバスを使用した。70年代の後半、シンプルなバスベースのアーキテクチャと2.5Mbpsの速度は魅力的だった。

いつくかのことがイサーネットが勝つことを保証した。最初に、Urs Von Burgが彼の著書「The Triumph of Ethernet」の中で、DECはイーサネットをサポートすることを早期に決めたことだと説明している。これにより、IEEEの標準化プロセスで重要なサポートを生まれたてのネットワーク技術に与えた。

イーサネットはよりオープンな標準でもあった。IBMのトークン・リングは理論上オープンだったが、メトカーフは実際にはIBM以外のトークン・リング装置はIBMのコンピュータとほとんど動かないと言った。イーサネットはすぐに20社以上の企業が対応した。そのコスト競争力のある標準ベースの製品が共同で開発された。(1980年代後半のネットワークでは、我々のほとんどがイーサネットカード用のハードウェアベンダーを1社選び、そのブランドの固執していた。)

1992年にARCNET Plusで最大20Mbpsしか動かなかったARCNETは、1980年代後半から1990年代初めよりも遅かった。少なからず、オープンで多くの開発者が取り組んでいたため、イーサネットはトークン・リングとの技術ギャップを素早く解消した。

特に、1990年にIEEE標準となった10BaseTは、ハブやスイッチの使用を許していた。これにより、イーサネットはしばしば面倒なバス・アーキテクチャから解放され、スター・アーキテクチャの柔軟性が提供された。この変更により、ネットワーク管理者はネットワークを管理しやすくなり、ユーザはPCを設置する際の柔軟性が大幅に向上した。1990年代初めまでに、10BaseTイーサネットは、使用した距離に関係なく、トークン・リングよりもずっと安価でもあった。

トークン・リングの棺の最後の釘は、イーサネット・スイッチングと100Mbpsイーサネットの導入が広まったことだ。今日では、まだ古いトークン・リング・ネットワークが稼働しているかも知れないが、歴史的な珍しいものである。同時に、802.11nや他のWi-Fi技術は非常に人気がある。しかし、これらのWi-Fiアクセスポイントにネットワークの接続性を提供するには、イーサネットが相変わらず役割を持つだろう。

Hacker News