5/06/2017

なぜ、ハイパーリンクが青色なのか

Richard Baystonのエッセイ。そして、他の一風変わったウェブ起源の物語... トリビアですな。

1969年4月のある日、インターネットが始まろうとしていた。その当時は、ARPAnetとして知られており、米国政府の高等研究計画局の科学者のために存在していた。彼らは、このように見えたインターネットを超えて科学論文、記録、アイデアを共有しようと計画した。

Arpanet logical map 1977

1977年のインターネットの全体図

そう、それが全てだ。

現在まで早送りすると、インターネットがどこにでもある。たとえ、あなたが実際にネットの無い生活を覚えていたとしても、ネットの無い生活を想像するのは難しい。我々が知るウェブは大局的見地から見たビジョナリーによって作られたと理解するのは簡単である。

事実、ウェブの最も重要な部分のいくつかは基本的にたまたま起こったものだ。他は、手近なツールを使って、差し迫った問題を解決するために作られたものだ。

ワールド・ワイド・ウェブ・プロジェクトからポスト・アウルのGoogleへの道は真っ直ぐではなかった。しかし、我々のオンライン世界がどのように現在の形になったかについて興味をそそる洞察がある。そして、訪問者の行動を測定し、ウェブサイトを最適化し、チームとともに作業し、コンテンツを作り、マーケティング・メールを送ったことがあるなら、その多くが不気味なほどに見覚えがある。

Old School World Wide Web

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1. ハイパーリンク

ハイパーリンクが青なのはあなたが誰を信じるかによって2つの理由がある。

ある人は、Mosaic for Windowsのような初期のウェブブラウザを指摘する:

NCSA Mosaic MS Windows

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青はデフォルトの選択肢のように見える。背景は既に灰色で、テキストは黒色、薄い色は白黒の配色ではうまく表示されない。そうなると、選択肢は赤、青、緑だった。

それが理論立ての始まりだった。

赤と緑は目の中では同じ細胞によって知覚され、色盲の最も一般的なタイプが赤と緑の色盲である。それは男性の7パーセント、女性はわずか0.4パーセントに影響を及ぼすが、全体で13にに1人である。そして、誰もが見ることができて、黒を間違えないような色を選ぶのが理にかなっていた。

ジョー・クラークが自著のBuilding Accessible Websites (2002)で説明しているのは:

赤と緑は色覚障害の影響を最も受ける色です。青の欠乏症の人はほとんどいません。その結果、ほぼ誰もが青を見ることができ、より正確には、ほとんどの人が青を他の色とは異なる色として区別できます。

これは理にかなっている: また、Facebookのようにウェブの他の部分が青である理由で、青なのは、マーク・ザッカーバーグが赤緑の色盲であるため青である。

そして、DARPANETの人達と初期のネットのパイオニア達がテーブルを囲んで、リンクを何色にするかについて話し合う会議があった。そして、彼らはアクセシビリティ問題のため、青に決めたのか?

だったら。

ティム・バーナーズ=リーの記憶と違う。

誰よりも一人の人物、ティム・バーナーズ=リーがインターネットの発明に関与している。そして、青のハイパーリンクは? 彼ですら誰が色を選んだのか覚えていない。

「リンクを表すのに色、あるいは青を使わなければならない理由はありません: それは単にデフォルトです。」バーナーズ=リーはワールド・ワイド・ウェブ・コンソーシアムでQ&Aを書いた。「私は最初のWWWクライアント(NeXT用に書いたWorldWideWeb)はリンクを表現するのに、実際の文書ではほとんど使われない予備の強調形式だった下線を単に使ったのだと思います。」

注) NeXTは白黒ディスプレイだった。

ネットのパイオニアでもあるテッド・ネルソンが思い出したことと一致する。1965年に、彼はMashableのランス・ウラノフに次のように語った:「リンクはページ間の目に見えるストラップだった。」それ以上はなかった。また、「カラー画面の登場が見えていないので」どの色にするかという疑問はなかった。

事実、バーナーズ=リーは、「ブラウザが色付きになったので、青が加わりました。私は青が最初に使われたのを覚えていません...。私の推測では青が最も暗い色で、視認性を脅かすのが最も少なかったためでしょう。」

そのため、彼の選択でさえないし、そうだとしても、彼の2番目の選択だった。「私はリラックスしたいので、自然に初期のWWWデザインではいつも緑を使っていました。」

(あなたがティムと同じように感じていて、リンクは緑か他の色の方がいいなら、このガイドで色を変更して欲しい。)

2. SPAM (迷惑メール)

私はSpamを制限して当然だと思う。平均的成人は1日に約150通のメールを受信する。実際に本物の通信、あなたが実際に関心があり関与している本物のやり取りの一部はどのくらいあるだろうか?

そして、あなたの耳を向かって価値のないものを叫ぶ人は何人いるだろうか? Email Breakdown

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必ずしも首尾一貫しているとは限らない。

奇妙でSpam検出器をかわす件名(Unl!kel¥ Médiç@7 Pr0c£dure、誰か?)の全盛期は過ぎ去ったかも知れない。しかし、送りつけられた望まないコミュニケーションの多くが、デジタルゴミの特定の形態で、全ての意図と目的に合わせて、いまでも毎日普通に受信箱を洗い流している。

そして、歴史的にSpamはどこから来るのだろうか?

今では様々なタイプのSpamの間でさらに区別をする新語、Spamファミリーがある。Spamはあなたが求めず欲してもいない電子メールである。Famspamは同じ括りだが、あなたの家族から来る。一方、Bacnはあなたが求めるが望まないSpamである。(忠告、Buzz Canuckのせいで、あなたは求めていないが欲しているSpamのためのプロシュート)

Spamは動詞で、名詞で、副詞で、形容詞である: あなたはSpamのようなSpamでSpamのようにSpamを送る事ができる。(ただし、やらない事)

しかし、Spamの物語はどこから始まったのだろうか?

Spamの起源はAPRAnet時代に戻る。ウェブよりも古く、ブラウザよりも古く、検索エンジンよりも古い。最初のSpamメールはコンピュータの販売プレゼンテーションを載せた宣伝をARPAnetのメーリングリスト上で全員のアドレスに送信された:

Digital product presentation

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1978年にディジタル・イクイップメント・コーポレーションのマーケティング担当者、Gary Thuerkによって約400のメールアドレスに送られたメッセージが、非常によく知られる効果をもたらした。Thuerkはスパマーとして自信を見ていなかった:「私は自分自身を電子マーケティングの父だと考えています。そこに違いがあります。」彼は2007年にComputer Worldに語った。Thuerkが素敵にそれを呼ぶ「E-spam」は、メッセージを受け取りたくない、あるいはその製品を欲しくない人、関係なく受信者に送られた。ThuerkのメッセージはSpamではないと、彼は言う。なぜなら、「我々はそのあと、1300万ドルあるいは1400万ドルの価値があるDECのコンピュータを販売した」からだ。

しかし、販売できた事に加えて、Thuerkのメッセージは否定的な反応を生み出した: 受信箱がガラクタの山になって欲しくない、特に米軍の研究に直接関連していなかい資料に対して、イライラしたARPAnetの住人から苦情が毎日届くようになり始めた。

Arpanet Management Branch

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ARPAnetユーザは、仕事でFacebookをチェックしたり、eBayでスニーカの買い物をしたりはせず、重要な研究から気を散らされて不愉快に思っていた。しかし、それとは別に、より多くのことが変わる...

3. ウィキペディア

Wikipedia

大学教授の災難、知りたいが何も知らない人々への恩恵、そしてマーケティング担当者へのリンクジュースの確実な情報源: ウェブはウィキペディアなしでは考えられないようだ。何しろ、SERP(検索エンジンの検索結果のページ)のトップと大きく異なって見える。

創設者のジミー・ウェールズとラリー・サンガーは2001年に、「馬鹿げた名前に...とても馬鹿げたプロジェクト」とサンガーが考えていたウィキペディアを開始した。、読者によって書かれる百科事典にとって、名前はウィキとエンサイクロペディア(百科事典)を混成した。

「ウィキの重要な部分、他のどのウェブサイトとも異なる点は、ユーザによる共同編集である。」とZach LeBarは説明する

従来の百科事典では、スタッフが信頼できる情報源からの最高の情報を使い、数十年のキャリアを持つ主題専門家あるいは主題に高度な学位を持った編集者が監督をする。もしかすると、「ブリタニカ百科事典はスタッフとアドバイザ、寄稿者、支持者の間で長く間活発な交流を持ってきた。」しかし、彼らはリック・ケイがジミー・ウェールズと共にあるような交流について話さない。

ウィキペディアを興味深いものにするのは、たとえ誰もそこで働かないにもかかわらず(一人のソフトウェア・エンジニアを除いて)、スタッフが本格的に主題専門家でないにもかかわらず、(概して)正確に働いている。そして、スタッフがいないにも関わらず、スタッフが配置されているように、ウィキアンはたやすく記事に投票しないため、記事はとても民主的に編集される。その代わり、ウィキペディアの規則に従って、十分に良いコンセンサスを得ようとする話し合いがある。

ウィキペディアは寄せ集めの社会スタイルで動いている。有権者の大多数は記事を変更あるいは削除したりはしない。一部のユーザは他のユーザよりも大きな声を出すが、彼らがそれを必要としない限りはわずかだ。もっとも重要なのは、仕事を容易にするためのワークスタイルとマネジメントスタイルが混在していることだ:「コミュニティの情熱は仕事の質に向けられ、必ずしもそれを生み出すプロセスではない。」ウェールズはTEDの聴衆に語った

4. Linux

Linuxはウェブなしでは存在できなかったOSの類である。その作者リーナス・トーバルズは、アメリカ系フィンランド人のソフトウェア・エンジニアで、システムの1万行のオリジナルコードを書いた。そして、今では、ほぼ2200万行に達し、500近い企業に務める5千人以上によってメンテナンスされている。

Company Changes Percent

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そして、見えないし、聞こえないが、それはどこにでもある。あなたは今まさにほぼ確実に使っている: WindowsやMacでこれを読んでいたとしても(Linux派生物で実行するAndroidやChromeデバイスではない)、おそらくそれを見るためにLinuxサーバに接続している。証券取引所、Google、Facebook、Amazonなど他にもいくつかで動いている。「たくさん、さらにもっとたくさん」とLinux財団の常務理事Jim Zemlinは言う

Linuxはウェブ構築そのものの一例であり、自己集合システムに関する100万の過熱した見方のための素晴らしい発想である。しかし、その背後にある展望はなんだろう?

一つではない。

トーバルスは言う「私はビジョナリーではない。私に5年計画はない。私はエンジニアだ。クラウドを見るよりもむしろ、私は地面を見ていて、目の前にある穴を自分が落ちる前に修正したいと思っている。私はそういう人間なんだ。」

Linuxは、世界中の何千人の人々が穴の修正に取り組む機会から成長し、同時にそれらの問題を解決するのを助けている。Amazon、Facebook、eBayなどが協力してLinuxを改善し、お互いに競い合っている。

5. ブログ

ブログを書くことは、インターネットが利用される主なものの一つである。ブログを読んだり公開することは、インターネットのかなりの大部分を占めている。ブログの読者が2006年からどのように成長してきたかをチェックしてみよう:

October 2006 chart

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そして、彼らが読んで見るためのコンテンツが絶え間ない流れを作り出している。World of Metersのこれら2つの画像は(実際に、そのブログから)、10秒間隔で撮られた:

Blog posts written today
Blog posts written today 2

多くのブログがある。それは定着していると言って間違いない。どこから来るのだろうか?

最初のブログをブログと呼んだのはRobot Wisdomで、Jorn Bargerが運営していた。基本的に、彼はリンクを共有し監督(curate)していた。彼は閲覧したウェブを記録していた(logged)が、それがブログという言葉の由来である。個人的なウェブサイトやホームページとは異なり、会話に参加することでもなく、オンラインの名刺や不動産の一部というわけでもなかった。それはBargerの素性と一致する: 80年代後半まで元コミューンの住居のヒッピーで、JornはUsenet中毒者だった。必要最小限でテキストのみのフォーラムを思い浮かべて欲しい。それはブロードバンドやましてドメイン名が登場するずっと前のUsenetだった。

Usenetに出会った後、BargerはUsenet利用者と不和になった。ケイト・ブッシュのファン・フォーラムが他ならぬ不和の源だった(そう、本当に)。そして、彼は自身の言葉で書き、やりとりしたりコメントができる場所を探した。

彼は、同じサイトや他のサイト上の他のページにリンクするウェブページを思い付いた。新しいエントリーがトップに表示され、下へのスクロールは時間が経過したことを意味し、新鮮なコンテンツが常に最初に出された。

聞き覚えがある?

Robot Wisdom Auxilary

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しかし、それは実際には我々が今知っているブログのように見えないし、働くこともなかった。

Forbesをこれを出版させるほど十分に脅威になるには時間が掛かった:

Forbes attack of the blogs

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我々が今いる状況は、Forbesにしても百万ものビジネス・ブログの一つに過ぎないのか?

ブログを我々の時代の重要なメディアにしている要因は、既に早い段階で整っていた。しかし、違いを作ったイノベーションは、訪問者の行動に関する情報に基づいていた: キャッチフレーズになるずっと前、ウェブ出版へのアプローチとしてのブログの導入はデータ・ドリブンだった。

ここにそれがどのように起こったかがある。Wiredのような雑誌がオンラインに移行した。そして、表紙にウィリアム・ギブスンが載った時、あなたはニューロマンサーが来るべき現実のように感じられ、反応しなければならなかった。Slate、Urban Desiresなどがそこにもあった。しかし、彼らは全て雑誌の形式にこだわった。フロントページは何が入っているのかを伝え、新しい記事が毎週、毎月一斉に掲載された。

ハイパーテキストを強調や解説として使った厚かましい風刺雑誌サイトのSuckの編集者らは、HotwiredやWired雑誌のウェブサイトのサーバログを分析して、訪問者がそのサイトでどのように行動したかを調査した。彼らが発見したのは、何か新しいものがあった時に、人々がサイトにやって来るということだった。物理的な出版の制限が無くなり、理路整然とした編集者で創設者のCarl SteadmanとJoey Anuffは、毎日コンスタントに公開しない理由は無かった

そして、彼らがそれをやり始めた後、他の誰もが参加した。それが我々の知るブログが完全に形作られた時だ。

まとめ

我々が認識しているインターネットは、実際には自然と、ある時は何か他にやろうとした人たちによって組み立てられた。大計画があったわけではない。その代わり、人々は軽くて速く動作するオペレーティング・システム、コンピュータ・ビジネスに買い手を増やすこと、ケイト・ブッシュについて話す場所を望み、彼らがそれを実現させたのだ。そして、ウェブ自身はそれらが広まるのを許容した。そうしたければ、今、あなたは自己組織化システムに関する話し合いを始めることができる。

Hacker News