5/24/2017

コーディングは楽しくないし、技術的にも倫理的にも複雑だ

Slashdotより

匿名の読者が記事を伝える:
初心者にとって、プログラマの心のプロフィールはかなり珍しい。高度に分析的でクリエイティブであるばかりでなく、ソフトウェア開発者は仕事の複雑さをやりくりするためにいつも超人的な集中力が必要となる。細部への躁的な注意力が必須で、だらしなさは禁じられている。コーディングは、強い集中力を求める唯一の仕事ではない。しかし、脳手術が楽しいとか、構造工学が簡単だと言う人は誰もいない。プログラミングに関しては、なぜ政策立案者や技術者のふりを装うだろうか? 一つは、投資家のマーク・アンドリーセンの言葉で、ソフトウェアが世界を食べている時に、その分野に人々を誘い込むのを助け、労働者プールが拡大することで、業界がゆっくりと進み、賃金が抑制された。もう一つの理由は、まるで、開発者が与えられた問題を解決するのに決まり切ったやり方を当てはめるいくつかの鍵があるとでもいうように、まさにコーディングという言葉が型通りで反復的に聞こえるということだ。ハリウッドが社会的に挑戦するコーダーを役に選ぶわけではなく、必然的に白人男性でナチスを阻止したりCIAに侵入したりする力を持つ考える前にタイプしてしまうようなハッカーである。魅力的で楽しいコーディングと断言することは、子供達にコンピュータ科学を知ってもらう方法としては間違っている。彼らの知性をバカにして、進歩のために訓練を必要としないという致命的な考えを頭に植え付けてしまう。ソフトウェアを少しでも作ったことのある人なら誰でも1分のタイピングが1時間の勉強とごまかすことを知っている。技術的にも倫理的にもコーディングは複雑だと認める方が良い。現時点で、コンピュータは様々な洗練度で命令を実行することしかできない。したがって、開発者は明確にできるかは開発者次第である。すなわち、マシンはあなたが言うことを行うもので、あなたがするつもりのものではない。生死に関わるものを含め、ソフトウェアに委ねられる"決断"がますます増えている。自動運転車、半自律的な武器、FacebookやGoogleが最高入札者に販売する前にあなたの結婚、心あるいは身体の状態についての推論を行っていることを考えて欲しい。しかし、企業や政府がこれらのプロセスの下で何が起こっているか調べることを我々に働きかけることはほとんどない。