4/16/2017

何がXerox PARCを特別なものにしたのか? 今日、誰が彼らのようか?

アラン・ケイのQuoraより

Parcがその一部だった研究コミュニティについて読む素晴らしい本(ほとんど唯一の素晴らしい本)は、ミッチェル・ワールドロップによる"The Dream Machine"である。そこには、1962年に先見の明があるJCRリックライダーによって設立されたARPA("D"が付く前)のIPTO(Information Processing Techniques Office)に関する情報が得られるだろう。彼は、15あるいは16プロジェクトの研究コミュニティを大学で作り、RAND研究所、リンカーン研究所、Mitre、BBN、SDCなどの場所でもいくつか作った。

「コンピュータの運命は、世界の隅々までネットワーク化された世界で誰もがインタラクティブに知的増幅をもたらすことである」というビジョンがあった。

その原則は:

  1. ビジョンは目的では無い

  2. プロジェクトではなく人に投資しろ - 科学者は資金提供者ではなく問題を探し出す。そして、様々な理由から、あなたは最高の研究者を抱える必要がある

  3. 問題発見 - 問題解決だけでなく

  4. マイルストーン(節目)はデッドライン(期限)ではない

  5. 野球はゴルではない - 3割5分のバッティングは高いリスク領域でやる気があってとても素晴らしい。ヒットを得られないことは失敗ではなく、ヒットを得るための経費である。(野球で言えば、エラーは技術的に実現可能な何かを成功させることに失敗している。)

  6. ビジョン毎の終わりに人間に"コンピュータ関連"を具現化することである。多くの場合、これは研究者が、様々なメインフレームなど多くのハードウェア、そして必要となる全てのソフトウェア(OS、プログラム言語など)も含む、ほとんど全てを設計し構築するが必要だった。ARPAの研究者の多くは、ハードとソフト両方に堪能だった(普通はどちらか一つが素晴らしいだけだが)。これはほとんどのプロジェクトでとても均質の(homogeneous)コンピュータ文化や大きな相乗効果を生み出した。

  7. 上記は、「コンピュータ・ピープルは自身のツールを作ろうとすべきではない(結果として無限のチューリングの泥沼になるため)」という常識的な考えに反している。ARPAの考えは、二次的な考えだった。「自身のツール、ハードとソフトを作ることができるなら、是非そうしなさい!」。その考えは大きな重要な問題や新しい問題を引き受けるなら、全ての必要なツールを取り除くためチョップを開発するしかないし、一部には新しいことが実際に意味するもののため、一部には研究思考を殺す間違ったパラダイムの中にあるベンダーの回避策を実行しようとするためである。

  8. 研究成果の重要な要素は研究者である。これは人づくりに野球の考えを示す。特に大学院では、一般に面白いと思われる人を認め、判断は数年先まで下さなかった。パーソナルコンピュータやネットワークの大部分の問題を最終的に解決して研究者の多くは、ARPAコミュニティによって生み出された。

ParcはこれらのARPAプロジェクトの最後で、ベトナム戦争の資金調達の変化のため、ARPA-IPTOよりも企業からの資金を得た。しかし、Parcでのコンピュータ・ピープルのほとんどが、60年代のARPAプロジェクトで成長した。Parcでコンピュータ研究を立ち上げたボブ・タイラーはARPA-IPTOの第3代所長だった。

ボブの目的は「ARPAの夢を実現」することだった。

Parcは豊富な才能、能力、ビジョン、信頼、協力に関して非常に確固たるものがあった。実際に管理構造が存在せず、おおよそ秩序立った方法で提案、コミット、デコミットを研究者ができるよう組織化されていた。

Parcが最もよく知られている多くの発明が最初の5年間でかなり少数の研究者によって行われた(バトラー・ランプソンは約25人と見積もり、それが正しいと思われる)。

Parcの最も興味深いアイデアの一つが:「全ての発明は100人のユーザに設計されなければならない」というものだ。そして、プログラミング言語やDTPワープロなどを行う場合、100人の人のために文書化して使うことができなければならない。あなたがパーソナルコンピュータを作るなら、100台を作ることができなければならない。イーサネットなら、100台のデバイスを接続する必要がある等。

ソフトウェア信仰はなかった。誰もが言語やOSやアプリなどを作り、研究が進歩していると感じていた。

複製や新しい設計をしたり作ることに時間やコストが必要なため、ハードウェアは扱いにくかった。実際には、大体の場合、多くの会議を経ず、そしてチャック・サッカーのようなハードウェアの天才の力によって非常に簡単にいい結果を出した。ディスクセクタやシンプルなイーサネット・プロトコルなどいくつかは、より独特なことを行うために主に重要なことができるよう合意された。実際、Parcは約10年間に渡り、いろいろなAltoの設計(約2千台のAltoが作られた)、MAXCs、Dolphin、Dorado、NotoTaker、Dangelionなど設計して、現場に投入した。言い換えれば、極めて多い。

重要人物がいたからだ。例えば、Parcはボブ・タイラー、バトラー・ランプソン、チャック・サッカーなどがいなければ成功しなかっただろう。

私は最初の5年間を「効果的で牧歌的」と呼ぶだろう。そして次の5年間は「非常に生産的だが、徐々に侵食した(erosive)」(後者はXeroxの多くの経営の変化のためで、未来でも企業にとって重要な運命でもしっかりつかむことができなかった)。

Hacker News

追記: 4月14日、ボブ・タイラーが亡くなった(NYTimesHackerNewsSlashdot)。

追記: BoingBoing