2/11/2017

iPadとMacの最初の7年間を比較する

ジョン・グルーバーのブログより。

なぜ、iPad持ちの人は一見したところ古いiPadを新しいiPadにアップグレードするのが遅いのか塾考しているドラング博士による素晴らしい意見:

私にとって驚くことは、iPadソフトウェアが導入以来7年間でどれほど進歩が遅くなったかということだ。私は常にコンピュータがどんなものであるべきかというスティーブ・ジョブズの構想の頂点としてiPadを、そしてハードウェアが入手できるならMacが1984年にどんなものであったかを考えてきた。しかし、Macが7歳の時に何ができたかを考えて見たい。

あなたはTHINK(別名 Lightspeed) CやPascalのようなサードパーティ製の開発ソフトウェアやAppleのMacintosh Programmer's Workshopのどちらでも正しいMacintoshのプログラムを書く事ができた。あなたはネイティブアプリを書くことを気にしないかもしれないが、それができれば、複数のソースからドキュメントをまとめるなど、関心を持つ他の多くの能力がもたらされる。

MultiFinderにはMac上で実行した全てのアプリケーションが動作する成熟したマルチタスク環境があった。

あなた(そして、全てのアプリケーション)は真の階層ファイルシステムにアクセスできた。

多くの人がHyperCardが最高の個人向けソフトウェア開発キットだとまだ考えている。

ドラングのリストは非常にプログラミング中心の考えで、iPadは1991年のMacの立ち位置と比べると特に弱いところだ。良い点は、本格的な汎用パーソナルコンピューティングプラットフォームは自分のことは自分でできるべきで、つまり、プラットフォーム自身でプラットフォーム向けのソフトウェアを書く事ができるべきである。

Macの極初期の時は、Lisaを使ってMacのアプリを書く必要があった。Macがたった2歳の1986年にはMPW 1.0が出荷された。言い換えれば、1984年から1986年までは、LisaがMacのためにあり、今はMacがiPadのためにある。Macで自足できることは、iPadにとっての今日よりも1980年代のAppleにとって優先順位が高くなっているのは理にかなっている。Lisaは失敗したプラットフォームだった。Macのアプリを開発するために数千ドルもするシット・サンドイッチのLisaを購入する事が開発者に求められていた。そして、Macがセルフホスティングすべきことは明らかだった。概念的には、どのようにシステムが動き、設計されていたかに基づき、MacのソフトウェアをMacの上で書く方法が必要だったということに疑問はなかった。

Apple TVの上でApple TVのアプリを開発し、あるいはさらに馬鹿げた、Apple Watchの上でApple Watchのアプリを開発する方法があるべきという主張をする人は誰もいない。それらは汎用的なパーソナルコンピューティングプラットフォームでは無い。さらには、iPhoneでiPhoneアプリの作成を可能にすることをAppleに求める理由があると誰も思わない。確かに技術的に実現可能であり、概念的には、iOSはUIの観点からそれを処理する事ができる。しかし、現実的な問題として、その努力をかけるにはディスプレイが小さ過ぎる。iPhoneを使ってiPhoneソフトを作成している開発者が所有する唯一のコンピューティングデバイスであれば、私が想像できる唯一の想像可能なシナリオである。1

一方、iPadは明らかにiPadアプリを開発するために完全にふさわしいプラットフォームになる可能性がある。しかし、私はそうすべきかどうか自信がない。あるいは、すでにあるものよりAppleにとって優先度が高くなるべきである(Swift Playgroundsは、Appleがこの方向に動いていることを示している。ゆっくりではあるが)。MacはLisaがなくなってしまったため、自身の開発ツールを必要とした。Macは明るい未来を持つ成長しているプラットフォームのままなので、自身の開発ツールを必要としていない。

しかし、ソフトウェア開発は脇に置いて欲しい。iPadにとっての大きな問題は、iPadがハードウェアに制約されている生産性が低く、時間も短い仕事しかないことだと私は考える。アルダスのPageMakerは1985年にMac向けに出荷された。1987あるいは1988年まで、Macは間違いなくグラフィックデザイナーやビジュアルアーティストにとってこれまでない最高のプラットフォームであると主張するの容易い。オリジナルMac登場の7年後の1991年まで、私は議論の余地はなかったと思う。そして、その間もMacのソフトウェアの改良で、ハードウェアの改善が求められていた。Photoshop、Illustrator、Freehand (今は亡き)、QuarkXpressなどのアプリケーションは当時のMacのハードウェアの限界を押し広げた。

それはiPadにはいえないだけのことだ。iPadはカジュアルな利用向けの素晴らしいプラットフォームである。私は読書をしたり、ビデオを見たりするためにはMacBookよりも良いと思う。カジュアルなゲームをするのにも優れている。私は書き物のためのツールとしてiPadを好む多くの人がいるのも知っている。iPadでアプリを書くのは強力でからではなく、むしろシンプルで、気が散らず、集中しやすいからだ。古いiPadより新しくより強力なiPadにアップグレードする説得力のある理由は何もない。実際、それらがなぜ古いiPadを持つ人(特に2012年のiPad 4から始まる)がアップグレードしないかの理由の良い説明になる。

Apple Pencilはこれを変える。Apple Pencilが使えるiPad Proは、世界で最高のポータブル・ドローイング・プラットフォームである。しかし、あなたが何らかの絵やスケッチをしないなら、魅力があるわけでは無いため、それを試す必要さえない。ほとんどの人々は絵を描かないからだ。2

私は、皆が5、6年使ってからリプレイスを考えるようなプラットフォームであるiPadにとって、それが本質的に悪いことだとは思わない。しかし、もしAppleは皆が頻繁にリプレイスしたくなるようなプラットフォームにしたいのなら、ソフトウェア・ストーリーを変える必要があると思う。それが起こるためには、iPadの体験はビッグiPhoneのようではなく、むしろタッチベースMacのようにする必要がある。

それがiPadにとってのAppleのゴールになるように見えないという事実が、私は他の多くと違い、Macの将来に自信があり続ける理由である。

iPadが登場してまだ1年も経たない2010年12月に、私がMacworldに書いたMac悲観論の記事は、まるで昨日書かれたもののように感じる。ここに私が書いたものがある:

典型的な企業では、レガシーテクノロジーは前進させる方法を考え出す重要なものである。Appleのレガシーテクノロジーは取り除く方法を考え出すものである。問題はiOSがMacよりも明るい未来があるかどうかでは無い。疑問の余地がなく、それはある。問題は、Macがレガシー(遺産)になるかどうかある。MacがiOSを減速させるのだろうか、あるいは何らかの形で妨げになるのかだろうか?

私はいいえと言える。実際に、全く反対だ。一方、Mac OS Xの開発はAppleがiOSにシフトしたエンジニアリング・リソースによって遅れており、その逆ではない。Mac OS X 10.5が2007年に遅れたとき、Appleはそれを認め、はっきりとそう言った。Appleの説明: オリジナルiPhoneの予定通り出荷するため重要なエンジニアリングリソースをシフトしなければならなかった。

しかし、もっと大きな理由は、Macの存在と継続的な成長がiOSをより少なくやり遂げることを可能にすることだ。iPadの中心となる思い付きは、やるべきことを減らすポータブルコンピュータであるということだ。そして、それがやるべきことを少なくし、するべきことを、より良く、より簡単に、よりエレガントになる。Appleが、iOSをMacでできる全てのことをできるようにするため拡張するなら、Macを段階的に廃止することができる。iOSの軽さを維持できるのはMacの重さである。

iOSは悩みがないと言うと、それは障害がないためではない。それは、それを運ぶためにそこにMacがあるからだ。長期的に、仮に10年後、楽しいのことは必ず終わりが来る。しかし、短期的には、Mac OS XはiOS世界の中で不可欠な役割を果たしている: 複雑でリソース集約のタスク向けのプラットフォームとして機能している。

6年後のここでは、iOSの世界でのMacの役割はその時よりも今の方がわずかだが重要性が少なくなっている。


  1. スマートフォンが唯一のコンピュータデバイスとして持つことはアジアや世界中の低所得者の人にとって一般的だと私は認識ている。iPhoneアプリを開発するために、iPhoneを使うことができる人が多少いたとしても、たくさんいるとは思えない。

  2. あなたは1990年代初期のほとんとの人はグラフィックデザインをしないと主張することもできる。私が言っていることは、「はい、まさにそうだ」。だからこそ、Appleは通常は四半期で遥かに少ない100万台を少し下回る数を販売していた。Macの販売数は1995年の1年間で450万台がピークだった。Apple Pencil対応のiPadは、1年で何万という単位ではなく、何百万台と言う単位だと今日も同様にニッチだと思う。